キリシタンとは何ぞや?長崎の教会群を巡る旅【①五島市 福江島】 ― ころすけの旅日記(五島&長崎編)その3
うっす!旅グマころすけ、こと、ツキノワグマのころすけです。
ころすけの旅日記(五島&長崎編)その3。いよいよ今回の旅の大目的であった、キリシタン関連資産についてお届けしていきたいと思うよ。
・・・といってもね、5泊6日ものぜいたくな旅程、教会だけでも結構たくさんの数を回ったんだよ。
なので、地域ごとに3回に分けてお送りしようかと思うぞ。
目 次
「キリシタンとは何ぞや?長崎の教会群を巡る旅」
【①五島市 福江島(ふくえじま)】
【②五島市 奈留島(なるしま)】
- 奈留ガイダンスセンター
- 奈留教会
- 江上天主堂(えがみてんしゅどう) ※世界遺産構成資産
【③長崎市内】
- 大浦天主堂(おおうらてんしゅどう) ※世界遺産構成資産
- キリシタン博物館
- 浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)
五島&長崎へ旅に出ると決めてからというもの、事前に本を読んだりネットで調べたりしていたリンくん。絶景スポットやグルメはもちろんのこと、西欧文化の発展や中華街のこと、原爆の歴史など網羅的に調べてはいたけれども、そのなかでもリンくんのいちばんの関心事は、「キリシタン」とその関連資産つまり教会群だった。
「なんでそんなにキリシタンのことが知りたいと思ったの?」
おれはリンくんに聞いてみた。すると返ってきた答えはこうだった。
「うーん、きっかけは・・・昔、遠藤周作を読んでたからかな。」
ふぅん。
遠藤周作と言えば『沈黙』がいちばん有名だろう。
(リンくんに言わせれば、『沈黙』はもちろんだけれども、『深い河』とか『わたしが・棄てた・女』とかほかにも印象深い作品があるらしい。ま、その話をしだすと本題からそれるからほっとこう。)
少しだけ解説をさせてもらうと、遠藤周作『沈黙』で描かれている世界の舞台は江戸時代、キリスト教禁教期の長崎だ。幕府によって弾圧される潜伏キリシタンたち(キリスト教信者)の様子が描かれている。
迫害を受ける外国人司祭や経済的に貧しく生活の苦しい住民たちの苦悩、一方で信仰を取り締まる奉行側の立ち位置など、それぞれの人間の生き様が描かれている。キリスト教を棄教するものや逃亡するものがいる反面、殉教するものもいる。いったいそれほどにまで命運を左右する(当時の)「神」とは、またキリスト教のあり方とは、どのようなものだったのだろう、と。いくら想像をしてもしきれないそんな時代を、ありありと描いたのがこの作品だったといえる。
あくまでフィクションではあるけれども、おそらくエピソード単位ではまるっきり史実からは大きく逸脱しないような、つまりあの『沈黙』のテキストにつづられた描写相当以上に、酷く、悲しい出来事が繰り返されていたのだろうと推測してしまうのだ。
「あ。ゴメンゴメン。おれ、リンくんに感化されて、『沈黙』のこと語りだしちゃうところだったぜ!フハッ!」
「アハッ!そうだねぇ。まぁ、『沈黙』はきっかけ。教会巡りってさ、きっと人によっていろんな見方があるけれど。例えば、ホラ、建築物として教会に興味を持つひととかさ。シンプルに異国情緒もあって”バエルぅー”(写真映えする)みたいな。」
うん、とおれはひとつ相槌を打つ。
「わたしがキリシタンをもっと知りたいなと思ったのはー、シンプルに言えば、歴史の観点かな。幕府からの禁教期をも乗り越えてなお今に至るまで信仰の灯火が消えておらず、建物を始め資産が大切に守られているということがすごいなぁ、って。」
一時期図書館で、キリスト教に限らず宗教史の本を借りたりしてたもんな。そうそう、また脇道それちゃうけど、ひろさちや先生(宗教哲学者、ちなみにご本人は仏教徒)の本とか、かなりわかりやすく書かれているし、目からウロコ過ぎて面白かったってよ。
「人類史上、いろんな神さまがいていろんな思想があって、その違いや逆に似ているところを理解するのって、わたしにとっては面白い分野なんだよねぇ。」
「リンくん、もう長くなりそうだから、そろそろいいってば。ま、本で読んだことはさておき。」
「うん。」
「さぁ、旅をしようぜ!」
まずは今回の旅程で巡る3つのエリアのうち、ひとつめ。
【①長崎県五島市 福江島】の島内にある教会から。
福江島内には13の教会があるけれど、そのうちの5つに訪問してきたよ。
そうだ、各教会を紹介する前に、ひとつだけお知らせ。
今回訪れた教会群はすべてカトリックの教会で、堂内ではあくまで信仰の場所。
土足禁&脱帽だし、写真撮影も禁止されているんだよ。
なので、建物内部の祭壇、美しいステンドグラスや聖画などの写真はいっさいないのでご了承ください。(建物の内部もより詳しく見たいって方は自治体の観光サイトなどを見てみるか、教会建築を集めた写真集なども存在するのでそちらを見てみるのもオススメ。リンくんも図書館で借りたけど、実際に行ってみたら逆に欲しくなったと言っていたぞ。)
▼長崎の教会に関するオススメ写真集▼
白井綾『長崎の教会』平凡社、2012年
https://www.heibonsha.co.jp/book/b159267.html
そう、今回の教会巡り旅でわかったこと。
教会という神聖な場こそ、自分の足で訪れて、堂内に入ってみて全身でその空気を感じなくっちゃ、わからないってことだよ。
スゥー・・・ハァー・・・
ひとつ深呼吸をして・・・
では、長崎の教会巡り行ってみよう!さぁレッツゴー!
【堂崎教会】どうざききょうかい
(五島市 福江島)

福江島に到着していちばん最初に訪れた教会、それはこの堂崎教会だった。
福江島におけるキリスト教布教の拠点とも言える場所とあったけれど、どんな歴史が刻まれている場所なのかな?


「あのー、事前にお聞きかとは思うんですが、今、内装工事中で入れないんですよ。だから、堂崎教会は外観だけで。」
観光タクシーの運転手Dさんにサラッとそう言われた。実はそんな想定はしていなかったリンくん、ココロのなかでは絶句していたけれども、小さい声で「あ・・・ハイ・・・」と相槌を打った。
この堂崎教会、ガイドブックや観光サイトを見るに、福江島内に13あるうちの教会のなかでも、最も重要、歴史的に意味があると言うべき教会なようだ。
その理由?
それはね、やはりその成り立ちに大いに関係していると思うんだな。
建物としては、赤茶のレンガ造りが美しいゴシック様式の教会堂。この教会堂について、案内板によればこのような説明がされている。
「明治6年(1873)キリシタン禁教の高札が下ろされ・・・(略)・・・それから4年後、五島キリシタン復興の任を帯び、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れた。マルマン神父は明治12年堂崎小聖堂を建立し、・・・(略)・・・、2代目主任司祭のペルー神父は明治37年用地を拡張し、現在の赤煉瓦造りの新聖堂建築に着工、同41年に完成、長崎西坂で処刑された26聖人の一人で五島出身のヨハネ五島を祈念して「日本26聖人殉職者聖堂」と命名された。」


「ねぇ、ころすけ。二十六聖人って、知ってる?」
「あ?うん、リンくんが一生懸命読んでた本に書いてあったろ?だから、うん、知ってる。」
「あ、そっか。」といってリンくんは目を伏せた。
軽くだけ、補足しておくと、こういうこと。
1597年、二十六聖人殉教。前年、サン・フェリペ号が土佐浦戸で難破し、積荷を没収される事件が勃発。イエズス会のみならず、スペイン系のフランシスコ会の使節(フィリピン総督ペトロ・バプチスタ)や信者ら26人が処刑された。なお、「二十六聖人殉教」とは日本で初めての殉教者として1862年に列聖された後の表記。
本馬貞夫『世界遺産キリシタンの里—長崎・天草の信仰史をたずねる—』、九州大学出版会、2021年(p.41)

コレ、リンくんの読書メモだからあんまわかりにくいかもしれないけれど。つまるところ、その当時の最権力者であり、キリスト教を恐れた豊臣秀吉によって迫害を受けたキリスト教信者たち26人がいたということ。そのうちのひとりが五島出身の、このヨハネ五島氏だったということだ。

本来であればこの堂崎教会は博物館としての役割も果たしているそうだ。おれらが訪問した時期(2026年2月)はたまたま改装工事をしていて休館中だった。
だけれども、外観を見るだけでもとてもココロに響くものが多くあったことをここでお知らせしておきたいと思う。
まずは、アルメイダの宣教のレリーフ。

アルメイダというのは五島(福江島)へ初めて宣教にやってきたポルトガル生まれの宣教師のことだ。優秀な医師でもあったアルメイダは、当時の五島藩主の要請で五島に来島し、病弱な藩主の息子(のちの第19代五島藩主、キリシタン大名となる)の治療に努めたらしい。
結局その息子である第19代五島藩主は若くして亡くなってしまい、なかなかキリスト教信仰の浸透には苦労をしたそうだ。


中には入れなかったけれども、外観からして、それは美しいレンガ造りの教会。

カシャッカシャッ・・・!
とりあえず福江島に着いて初めての教会だし、リンくん、シャッターを押す指が止まらない。




堂崎教会(五島の島たび 五島市観光サイト)
https://goto.nagasaki-tabinet.com/junrei/332



堂崎教会のすぐそばにあったマドレーヌ屋さん「菓子工房nokonoki」。
地元素材を使った手作りのお味で、とてもおいしかった!
【井持浦教会】いもちうらきょうかい
(五島市 福江島)

「さぁ、井持浦教会に到着しました。」
Dさんはエンジンを止めると、そう言っておれたちを案内し始めた。
この井持浦教会(いもちうらきょうかい)は、先の堂崎教会に次いで、福江島で2番目に有名な教会とも言えよう。(勝手に順番をつけてゴメンなさい、深い意図はないです。ガイドブックやそれらで目に触れた印象も含んでます。)
「日本で最初のルルドをもつれんが造りの教会」というのがガイドブックに書いてあるキャッチフレーズだ。
「・・・なぁなぁリンくん、ルルドってなんだ?」
リンくんに聞いてみると、想定内というべきか、こんな答えが返ってきた。
「えーっとー、調べてみる・・・!」

「えーっと、ルルドとは・・・。」
すごくカンタンに言うと、軌跡の泉。聖母マリアがもたらした、軌跡の聖水なのだと。その聖水を飲むと、病が治ると信じられているそうだ。
聖水の伝説は本来フランスのルルドという地方で起きたとされている。そのルルドの聖水をこの長崎は五島、福江島まで運んできて、作り上げたのが井持浦教会のルルド(”ルルド”は本来地名を指しているけれど、その伝説そのものを含めた呼称に変化しているらしい)なのだという。その際にはきちんと祭礼も執り行われ、多くの信徒がその恩恵に預かろうと祈りを捧げたそうだ。




ちなみにこの井持浦教会も、堂崎教会の2代目神父であった(同時に五島教区の神父でもあった)ペルー神父によって建設されたものだそうだ。
「ペルーさん、福江島のキリシタンにとってはなくてはならない重要人物だったんだな!」
そうそう、そういうこと。


井持浦教会とルルド(五島の島たび 五島市観光サイト)
https://goto.nagasaki-tabinet.com/junrei/670
【三井楽教会】みいらくきょうかい
(五島市 福江島)

「できれば、三井楽にも回っていただきたいんです。」
観光タクシーの運転手、Dさんに最初に希望を伝えておいたリンくん。
実は本来の観光ルートには入っていなかったスポットのひとつが、この「三井楽教会(みいらくきょうかい)」だ。
結果として、リンくんもおれも、今回福江島で行った5つの教会のうちでいちばん印象に残ったんだ。
まじで、行って良かった!
三井楽とは、福江島の北西部の先端にある地域の名前だ。このエリアの歴史は古く、かつて遣唐使が船で渡唐する前の最後の寄港地となった場所なんだそうだ。
(遣唐使のひとりでもあった空海さんのお話はコチラ → 「空海さんの足跡を訪ねて — ころすけの旅日記(五島&長崎編)その2」)
キリシタンに関する歴史では、かつて18世紀の終わり頃に大村藩(現在の長崎県大村市)から移住してきた潜伏キリシタンたちが住み着いた場所でもあるという。
当時の事情に少しだけ踏み込むと、こういうことらしい。
「1797年、大村藩と五島藩が農民の移住協定を結ぶ」。大村藩は人口過多の問題を抱える一方、五島藩は飢饉によって未開地開拓の必要性が高まったため。
その結果、「大村藩領の長崎・外海地区から多くの潜伏キリシタンが五島列島に移住した」。
松尾潤『祈りの記憶 長崎と天草地方の潜伏キリシタンの世界』、批評社、2018年 (p.15、要約)
そして、三井楽は、明治時代初頭に起きた「五島崩れ」と呼ばれる厳しいキリシタン弾圧が行われた地域のひとつでもある。
「福江島内の教会って、海岸線、特に北部に集中してるんですよ。」
とは五島タクシーのDさんのお話。
Dさんから聞いた内容を思い出しつつ想像もふくらませつつまとめてみると・・・。
当時、小舟に乗って大村藩から移り住んできた人々は、元の住民から距離を置きながら生活を営みつつ、密かにキリスト教を信仰し続けてきた。
三井楽をはじめとした五島列島の海岸線の土地というのは、絶壁の海から切り立った山肌で、小さな入り江が多く存在する。そのような場所は田畑として開墾するには特に骨が折れる場所だったし、逆に言えば、五島藩としてはそのような厳しい仕事を他藩から移住してきた者たちに担わせたのだとも言えるかもしれない。(実際にタクシーで走ってもらっていると、今でも海の入り江のすぐそばにある田畑や集落を見かけた。)
一方で、当時、信仰を隠さなければならない潜伏キリシタンという観点からすれば、入り江ごとに小さな集落を形成することで周囲からは目立ちにくくなるし、住人同士の監視もしやすいため、裏切る者や密告する者が出にくいというメリットも少なからずあったのではないか・・・とここまでは考えすぎかな?
というわけで、三井楽はそのような土地のひとつ。
そして、令和のいまもなお、この地域に住む人々のための教会として存在しているのがこの三井楽教会だ。
「ほう?またちょっと変わった外観・・・!」
変形の八角堂のように見える建物、その屋根には十字架がかかげられ、正面の壁面にはカラフルなモザイクタイルの画が描かれている。

入口の案内板によれば、
「三井楽教会は、1797(寛政9)年大村藩から迫害を避けて逃れてきた潜伏キリシタンの流れを汲む信徒が、1880(明治13)年、ゴシック様式の木造聖堂を完成させたのが始まりといわれている。・・・(略)・・・約90年もの間親しまれてきたゴシック様式教会も老朽化と白蟻被害のため、現聖堂として1971(昭和46)年建立され」た。
つまり、この土地での三井楽教会としての歴史は約150年と長いが、現建物は約55年前に建てられたという。
面白いのが、案内板に「昭和7年頃の天主堂」という写真があるのだけど、以前の建物と現在の建物のデザインがかなり違うこと。55年前の当時にして、大胆に変革をしたんだろうと思うよな。

同案内板によれば、
「島内各地から採取した貝殻のモザイク聖画が教会の正面、内部、司祭館や信徒会館の壁面を飾っている。モザイクタイルで作成された壁画がこの教会のシンボルとなっている。」
とある。

「なんか知らないけど、このモザイク壁画、カッコいいよなぁ・・・!コンテンポラリーアートっぽい雰囲気を感じる!」
おれがそうつぶやくと、リンくんも興味津々でタイルのひとつひとつをまじまじと見ながら、Dさん(観光タクシーの運転手)に質問をした。
「あのぉー、聞いてもいいですか?この青いタイルって、なにか五島・・・福江島と関係あったりします?」
「はへ?なんですって?タイル?」
Dさんは不思議そうな顔をしている。
「そう、タイル。あの、わたしたちが泊まっているホテルでも同じようなこういうタイル、見かけたんですよ。ホテル内のインテリアであちらこちらに使われていて。」
「へぇーあぁそうですか・・・。いやぁ、勉強不足で申し訳ないですが、そのあたりの関係性はわからないです。・・・ただ・・・。」
Dさんは壁にもう一歩近づいて、目を凝らしながら口を開いた。
「あぁ、ホラ。このタイルのデザイン、クロス、十字架ですよね。昔からこの辺りでは”クルス皿”って言って、お皿とかにもクロスをモチーフとしたデザインって案外多いんですよ。なにか関係あるのかもしれませんね。」

ちなみに。
真偽はわからないままだけれども、タクシーでの移動中にリンくんがネットで検索してみたところ、この青いタイルは有田焼で、黒島(長崎県佐世保市)にある「黒島天主堂」(世界遺産構成要素のひとつ)では床面に取り入れられているそうだ。黒島ではこの特徴的なタイルのレプリカがおみやげとして売られているくらいのようなので、やはり教会とクロスデザインのタイルとの関連性はゼロとは言えないかもしれない。
んもー!おれ、黒島天主堂にも行ってみたくなっちゃったよ!
▼参考▼
有田焼のタイルを使った天主堂 オラショこころ旅
https://oratio.jp/p_column/aritayaki-tile
あのタイルがここにも! オラショこころ旅
https://oratio.jp/p_column/kurosima-tile


三井楽教会(五島の島たび 五島市観光サイト)
https://goto.nagasaki-tabinet.com/junrei/1086
【貝津教会】かいつきょうかい
(五島市 福江島)

「ココはねぇ、ぼくが一番好きな教会なんですよ。」
Dさんからそう言われて、シエンタ(観光タクシー)から下ろされたおれたち。
本来の観光ルートには入っていなかったはずの場所。リンくんからリクエストしたわけでもなかったけれど、キリシタン関連に興味があると言ったからだろうか、気を利かせてなのか、連れてきてくれた。
「見てください、ホラ、可愛らしい建物でしょう?」
うれしそうに語るDさん。
そうなんだ、地元のタクシー運転手さんにも「推し」教会があるってもんなんだな。
あ、ちなみにDさんは福江地域(旧福江町と言ったらいいのか・・・、福江島のなかでも福江港に近い東側)の人だと言っていたので、仮にカトリック教徒だったとして自分の通う所属教会だってことではないと思う。多分。)
「素朴でねぇ、いいんですよ。木造でね。」
語るねぇ・・・!Dさん。

「確かに、この白い壁に、薄水色の窓枠、素敵ですね。」
「そうなんですよ。ココね、この窓枠のステンドグラスがとても美しくて。西日が差し込む時間帯は本当に素晴らしいです。」


おれらが訪問した日は雨粒が落ちてきそうなほどのどんより曇り空。残念ながら美しい西日とはいかなかったけれど、それでも地元の人たちに大切に守られてきた信仰の場、美しい原色のステンドグラスに思いをはせた。
こころなしかこれまでの教会堂よりも饒舌に案内をするDさんのお話を、おれたちは笑顔で聞き続けたのだった。

貝津教会(五島の島たび 五島市観光サイト)
https://goto.nagasaki-tabinet.com/junrei/1084
【水ノ浦教会】みずのうらきょうかい
(五島市 福江島)

福江島で訪問した5つ目の教会が、水ノ浦教会だ。
この教会は、長崎県出身で教会建築家として著名な鉄川与助(てつかわよすけ)によって設計されたと言われている。水ノ浦教会の創建は1880(明治13)年と約150年もの歴史があり、さらに現在の建物の建築は1938年(昭和13年)というから、約90年も前の木造の建造物だ。現在でもその美しい姿をそのままに、信仰とともに地元の信徒たちに大切に守られている。


水ノ浦教会のある丘の眼下には、入り江とともに小さな漁村集落がある。これはまさに三井楽の地形にも似たような、大村藩からの移民による潜伏キリシタンの歴史を感じざるを得ない。
「ハァ・・・!五島の潜伏キリシタンの歴史、深すぎる!」



ちなみに、案内板の説明によれば、堂崎教会にもあったヨハネ五島(二十六聖人のひとり)の聖像もあったそうだ。気が付かずスルーしてしまったことが残念。
「うぉい!リンくん、しっかり見てよ!」

水ノ浦教会(五島の島たび 五島市観光サイト)
https://goto.nagasaki-tabinet.com/junrei/1087
「ふぅー!饒舌にしゃべりすぎちゃったかなぁ、おれ?」
「いやいや、それでも随分とコンパクトにまとめてくれたよね、ころすけ、アリガト。」
福江島内で巡った教会は5ヶ所。明日は五島市内の別の島、「奈留島」(なるしま)への日帰りツアーに参加する予定だぞ。奈留島には、世界遺産構成資産のひとつである「江上天主堂」があるのだ!次回は世界遺産のことにも触れながら案内をするからお楽しみにねー!
旅グマころすけの旅はまだまだ、まぁーだまだ続く・・・。
(その4に続く)
ころすけ
「離島に初上陸 福江島 — ころすけの旅日記(五島&長崎編)その1」
https://bobingreen.com/2026/03/01/19653/
「空海さんの足跡を訪ねて — ころすけの旅日記(五島&長崎編)その2」
https://bobingreen.com/2026/03/06/20064/
遠藤周作『沈黙』新潮社、1966年
https://www.shinchosha.co.jp/book/112315
おまけ。
ひろさちや先生(宗教哲学者)の本でとっても読みやすいものはコチラ
ひろさちや『世界の宗教がわかる本』PHP研究所、2003年
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-62497-6

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