吾輩は”ぬい”であるか?
吾輩は猫である。
猫という名の、猫だ。
名前は・・・まだないのだ。このまま一生猫なのかと思っていたら、どうやらいよいよ吾輩もオハナ(家族)入りできるらしい。要するに、見習いから、一人前に昇格できるということのようだ。
だからというわけじゃないのだが、吾輩にも、ようやく名前が与えられるようだ。吾輩の主人は、リンくん、という、無名の食えない物書きだ。
ある日、いつもの主人の部屋を飛び出して、「一人前の」ペンギンの勘九郎氏とともに、外の世界にやってきた。
「おい。勘九郎氏。ここはいずこか?」
ほう。
ぬい撮りカフェエ、なる遊び舎におるらしい。暖簾は出ておらぬが、むぎかふぇ、という家らしい。
「なぁ。勘九郎氏。カフェエのことは吾輩も存じておる。では、”ぬい”、とはなんぞや?」
「なんだ、猫?そんなことが気になるのか?お前さんもいよいよ一人前になるんだなぁ!わっしのような者たちを”ぬい”と呼ぶらしいぞ。ニンゲンからそう呼ばれているんだ。」
「ほう。吾輩も、”ぬい”か?」
「んーっと・・・。わっしにはわからない。ニンゲンに聞いてみれば。」
そうか。勘九郎氏の口ぶりから推察するに、吾輩は”ぬい”なのかどうか、微妙なところなようだ。あからさまに、歯切れが悪い。そのくちばしにものが挟まったかのような、物言いである。
「そうか、まあいい。そのうち、わかることだ。」
吾輩は、供された茶を目の前に、香りを楽しみ、心を落ち着ける。ここはカフェエだというのだから、それには違いがないのだ。吾輩だって、茶を飲む権利くらいあるだろう。
勘九郎氏は、ワッフルなる洋風菓子を旨そうに頬張っている。君もひとつどうか、と呼ばれたのだが、先程のことが気にかかって思案中だったため、遠慮をした。
この遊び舎には、我々以外にも、多くの”ぬい”なる者たちが来店している。
尻の大きな子豚。顔に鼠の模様のある茶色い熊。熊のような大きな図体をしているにもかかわらず、白い毛に黒い模様の洒落者もいる。洋服に身を包む者、裸でその毛並みを存分に披露する者、皆、思い思いに御洒落をし、茶を嗜んだり、会話に興じたりしている。
どうやら人間同士は見知った関係らしく、最近の青い呟き鳥界隈(ツイッタァと云うそうだ)の話題でもちきりだ。
今日の主人は、日頃の様子とはかなり異なっている。元来、家族以外の人間との会話を不得手としているはずなのだが、今目の前の主人は、口の端まで笑顔を作って、面白おかしく午後のひとときを過ごしておると見える。
目の前には、水なのだろうか、透明な液体が供されている。主人が、ガラスでできたその器を傾けると、ほのかにだがとろんと水面が丸みを帯びた。
これは、酒だ、とわかった。
うちの主人は日頃より酒を愛好しているから、まぁ不思議なことはないのだが、そのアルコールの効能のせいか、主人はどうやら善い心持ちでこのカフェエでの社交を愉しんでいるようだった。
「猫ちゃんもおすわりしてるんですねぇー!かーわーいーぃっ!」
何処からか、猫、という語が聞こえた。
吾輩か?吾輩を呼ぶ声か?周囲を見回すと、猫らしい者は他におらぬ。
(ニャーニャー・・・。)
そう声に出してみたのだが、この家ではどの”ぬい”も人間の言葉を話しているようだった。
気を取り直して、吾輩も、人間の言葉で話すことにした。
視線をあげると、吾輩の主人の横に、店の女主が立って居た。
折角の機会だ。このぬい撮りカフェエなる商売をする女主に、問うてみようじゃないか。
「吾輩は”ぬい”であるか?」
吾輩の声をかき消すが如く、すかさず、主人の陽気な声が重なった。
「アッ。猫ね。ペットボトルのカバーなんですよぉ!ヒャッキンで買ったんですけどぉ、なんだか愛着湧いちゃって。ホラ、こうやって手入れて遊べるんですぅ。トコトコトコトコ・・・ってぇ。」
糞。この、酔っぱらいめが。
吾輩はこの主人の仕打ちに気を悪くした。家に戻ったら、主人の書き上げた原稿を滅茶苦茶にしてやろうじゃないか、と邪悪な考えが頭をよぎったが、名前を与えられるまでは、大人しくするしかないのだと諦めた。
吾輩は猫である。
吾輩はもうすぐ一人前になる。
吾輩は、いつか、”ぬい”に、なれるのだろうか。
猫(仮の名だ。近いうちに名前が与えられる)
吾輩
は猫である。名前はまだ無い。
夏目漱石『吾輩は猫である』
ぬい撮りのできるカフェ「むぎかふぇ」 @千葉県八千代市(京成八千代台駅)↓↓↓
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