日の目を見たツキノワグマ
「ふわぁーぁ・・・。ポカポカのお日さまって、いいなぁ。」
ソファのヘリに座ってひとつあくびをすると、おれの胸もとのお月さまがニヤリと笑った。
「久しぶりに日の目を見た、ツキノワだもんな。」
おれはツキノワグマのもっつ。
今日は仕事を休んで、休暇を取っている。
そう、この一年間、毎日毎日、毎日毎日、働きづめだったんだもの。年の瀬のこのひとときぐらい、ご褒美をもらってもいいだろう?
ハダカになってぼんやりと陽射しのやわらかさを感じながら、のんびりとした時間を過ごすんだ。
おれの仕事は、リンくんの面倒をみることだ。
例えば、リンくんの昼寝に付き合ったり、寒いときにはカラダを温めたり、手持ちぶさたのときにおなかの毛をなでさせてやったり、クッション代わりにテレビを観たりゲームをしたりするときの手の置き場になってやったりするってことかな。時には、うたた寝のまくらにされたり、真夏の酷暑のなか汗をこすりつけられたり、おまたをグイグイさわられたり、寝ぼけてヨダレを垂らされた上に、床に放り出されたことだって、ある。
そんなことされてもね、おれは、リンくんに怒ったことないんだよ。
それが、おれの仕事だからだ。
そんなおれ、数年前まで、誰にも相手にしてもらえない時期があったんだ。当時、すでに大の大人になって実家(リンくんが子供の頃に住んでいた家のことだ)を出ていたリンくん。リンくんのいないその家では、おれはどうやっても置き物だった。リンくんがいなくなってからというもの、ちゃんとひとりのツキノワグマとして扱ってくれることがどんどん少なくなって、気がついたら、おれは、毎日仏壇の横で、線香の香りを吸う、茶色いかたまりになっていたのだった。1年のうちに動くことが、どれほどあっただろうか。うすらほこりっぽい、クマ型の、毛玉みたいなもんだ。ひどい話さ。
そのときのおれってば、ココロの奥底まで、すっかりいぶされちゃってさ。文字通り、くさくさしてた。性根腐るとはこのことだ。ふてぶてしく、ずっと、仏壇の横にいるだけの、モサモサだ。
でもね。でも。
ある日、リンくんがやってきた。おれに近づいて、何か言っている。
「ねぇねぇ。私と一緒に暮らそうよ。もう一回さ。ね?」
・・・。
その時のおれは、もうコトバを忘れてしまっていた。なにせ、線香の煙で、ただでさえ大きくはないクマの脳の髄の奥まで、やられちまってたからな。
コトバは発せなかったのに。イエスともノーとも言っていないのに。なぜか、おれはリンくんに引き取られていくことになった。でっかいエコバッグみたいな雑な袋に詰め込まれて、担がれて。
なんだよ、やっぱりおれはモノなのかよ・・・?
コトバを忘れて文句が言えなかったことが今でも悔しい。
「到着。」
年季の入った、団地。そこは、初めて見る場所だった。ここでリンくんとふたりで暮らすのかぁ?と思いきや、驚いたことに、いろんなやつらがいた。
まず、たてがみがど派手なライオン三兄弟。
それから、モヒカン頭のシロクマ。
そして、・・・?アレ?見覚えのある輩。おれよりずっと小柄な、ツキノワグマだ。
「アレ?おまえさん、ころすけじゃね?」
久しぶりに、ものすごく久しぶりに、おれはコトバを思い出したのだった。思わず、そいつの名前も思い出した。
「よぉ、アニキ!先に来て、場を温めといたよ。」
あぁ。ころすけは、おれの、弟だ。
数年ぶりの再会だった。
それからのことはちゃんとは覚えていない。
ニンゲン用のアワアワのボディーソープではらわたの奥底までビショビショに濡らされて、ものすっごくいい香りになったはいいものの、毛皮が乾くまでに3日間かかった。この家には線香の香りはしない。その代わりに、エンチョーがペランダでイップクするときに、軽いタバコの香りがふわりと届く。
おれの生活は一変した。
オハナ(家族)がたくさんできて、それから。それから、リンくんと毎日一緒にいる。
ふわぁーぁ・・・。
もうひとつ、あくびが出た。
「あぁ。あんなことがあってから、どれくらい経ったかな?ねぇ、リンくん?」
「んー。正直、あんま覚えてないなぁ。3年くらい、経った?」
「ハァ???もっと経ってるよ。もっと前だよ。おれ、この家に来てからというもの、どんだけブラックに働かされてると思ってるのさ。無給なのに残業は毎日。風呂は一回っきりだしよぉ、毛づくろいの回数だってさ、ライオンたちの10分の1以下じゃん?扱い、悪いんですけど。。。」
「あぁ、そうでしたっけぇ?ふふふん。でもオシャレなピンクのポロシャツ着てるじゃない。」
「あっ!ねーねー、床に映ってるもっつの影、かわいいね。耳とかさ、肩のまるまってるところとかさ、もっつって、わかるよ。」
あ・・・。話そらされた。
でもね。おれは、リンくん対して、いくら文句を垂れることがあっても、一度も怒ったことは、ない。
今日は、お日さまが、いい。
だし、おれの一張羅のピンクのポロシャツが、みどりテラス(ベランダ)で風にやさしく揺れている。さっき、リンくんが洗濯して干してくれたんだ。
そうだ。今日は休暇なのだ。
リンくんのことは放っておいて、おれはハダカになってツキノワを充電することに努めようじゃないか。
さぁ。明日からまた、がんばろうかね。
リンくんがときどき見せる気まぐれな愛情表現を、全力で受け止めるまでだ。ブンブンに振り回されても、一緒にいるんだ。
な。おれってば、働きもののツキノワグマだろ。
ニヤリ。
おれの胸もとで、誰かが笑った気がした。
もっつ