トォの余韻と岬の珈琲
ゴーンゴーンゴーンゴーン
ゴーンゴーンゴーンゴーンゴーン
ゴーン
金属の歯車が目に見えるような鐘の音。
焦げ茶色の年季の入った振り子の掛け時計はまだ現役で、たった今、朝の10時を告げた。
ひぃふぅみぃと数えて、十回目、最後のトォの余韻を残し去っていった後は、秒針を刻む音に戻った。
かっつかっつかっつかっつ
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ライオンのボブぞです。
ここはチーバ、内房の海沿いの、小さな名もなき岬に立つ喫茶店。
絵に描いたような、真っ青なグラデーションを魅せる空。
初夏の風を受けて、白波を立てる海。
ここから一望できる景色は、リンくんの大好きな安西水丸の描く『一本の水平線』を思い出させるの。
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店内の振り子時計の音に混じって聴こえるのは?
ゴォーゴォーと風の吹き抜ける音。
テラス席の幌屋根が、ハタハタとあおられ、目に見ても強風が吹いていることがはっきりわかる。
気持ちよく晴れたお日さまの光が屋根の骨組みの影を映し、なんだか妙にポップな格子柄を作り上げている。
ガガガガガガガリガリガリガリ
さっき注文したコーヒーの、豆が挽かれるグラインダーの音。
おれらは開店待ち客のうち二組目。10時とほんのすこし前に、三組が同時に入店したから、きっと6杯分くらいの豆を一気に挽いているのだと思う。
かっつかっつかっつかっつ
グラインダーの音が止むと、再び、振り子時計の秒針の音。
それから、温かみのあるジャズの音色が心地よく戻ってきた。
今朝のこと。
「コーヒー飲み行こうぜ。朝のコーヒー。」
内房の道の駅”保田小学校”で目が覚めたおれらは、ケンイツエンチョーのそのひとことで、飛び起きた。内房の海沿いのドライブをほんのしばし楽しみ、鋸山のトンネルを抜けるとすぐそこ、ホントにすぐそこに、キーコーヒーの看板が出てきたら、左折だ。
「あ、ココだ。」
運転手のケンイツエンチョーが、ハンドルを切る。
グッと海の方へ私道を進むと、すでに何台かクルマが停まっているのが見えた。
ばたん、ばたん。
クルマを降りてさらに海の方へ進むと、そこはちょっとした展望スペースみたいになっていて、その先に白い壁の可愛らしい建物がある。
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“音楽と珈琲の店 岬”
それがこの店の名前だ。岬にあるから岬。そのまんま、そのまんだ。
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ガラリと引き戸が開き、初老のレディが店内から出てきた。その店主は、入り口に「営業中」の看板をかけると、一組目のご夫婦を早速店内へ迎え入れた。
「どうぞ。いらっしゃいませ。お好きなお席へ。」
おれらはそのふたりに続き、すすすっと建物の中へ進む。大きなテラスが目立ち、とても絵になりそうな席だったのだけれど、いかんせん、風が強い。岬の先っぽだもの、風からの逃げ場はやはり店内しかない。というわけで、店内を進み、曲がった先の奥の窓際のカウンターに座った。ここなら、テラス席ごしに海を眺められる。
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開店の一曲目は、”テイクジエートレイン(Take the A train)”、「A列車で行こう」で始まるようだ。ワクワク、今日はどんな楽しいことが起きるかな?イチニチの冒険を始めよう、そんな朝の調べにはふさわしい気がするよ。
「岬ブレンドふたつと、チーズトーストひとつ、お願いします。」
カウンターで注文を終えたケンイツエンチョーが戻ってきた。
チリンチリン。
入り口に取り付けられた鈴が度々鳴る。
どうやらおれらの後にもどんどんお客が入ってきているようで、ひとりは常連らしきこれまた初老のオジサマ。
「今日は、風がなかなか強いねぇ!」
店主に話しかけると、忙しそうに手を動かしながら、明るく答える声が聞こえた。
「この一年で風のなかった日なんてないわぁよぉー!」
この海の鮮やかさに負けないくらいのハッキリと華やかなブルーのアイシャドウが洒落てる店主、なんだかあったかくてチャーミングな人だ。
リンくんが着席すると、おでは抱っこされたまま、ぐるりと店内を見回す。
きっと飼いネコだったんだろう、席の周りにはたくさんのネコちゃんの写真、それから、伸びをするネコちゃんを型どったブックエンド。
それから、床に無造作に置かれたみかん箱にささったLPとアコースティックギター。夕暮れの写真、貝殻のオブジェ。
店を形作る全ての小物ひとつひとつが、ノスタルジックな空気を作り出している。つぶつぶとしたフィルムのざらつきを残した、そういったたぐいのアナログさがある。
それも当然かもしれない、ここは映画化までされた小説の舞台となった喫茶店なんだって。
壁にかかった一枚の大きな虹の絵、ここにストーリーが詰まっている。
ただひとつ、さっき10時を知らせたばかりの振り子時計のとなりには、動物病院のカレンダーがかけられていて、今が2023年5月であることを、お知らせてしてくれている。歴史とともに、ちゃんと、時は、刻まれているのだ。
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「おまたせしましたー、どうぞ。」
コーヒーと、それからチーズトーストがやってきた。
ハート型の手びねりっぽいカップが、これまたかわいい。あれ、もしかして。小説で読んだあのくだりを思い出す。
「リンくん、おで、こんな海の見えるカフェで朝ごはんだなんて、ゼータクだなぁ。すごい所だなぁー!」
「ボブぞ、そうだねぇ。コーヒー、どうぞ。」
クンクン。クンクン。
くぴ。
香りをかいでから、ゆっくりと口をつける。温度はばっちり。熱くない、ぬるくない。ライオン舌のおでにもぴったりだから、きっとニンゲンにもぴったりだと、思う。それから、おでは、違いのわかるライオン。いつものリンくんのインスタントコーヒーとは、当たり前だけど、わけが違うの。コーヒーってさ、苦いだけじゃなくて、むしろ、ちょっと酸っぱいんだよね。
「うん、おいしい。」
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おでは、リンくんの手からチーズトーストをかじりながら、もう一度窓の外を見やった。
「ねぇねぇ。空が、青いよ。海が、青いよ。おでらさ、内房には何度も来てるけどさ、ここまで天気が良くてここまではっきりと青く見えるのって、実は初めてじゃない?」
「そんな気がするねぇ。真っ青。」
リンくんは口をモグモグさせながら、言葉少なに答えた。
ぺしゃくしゃおしゃべりして、この雰囲気を壊しちゃいけないような、なんとなく、そんな気持ちになるのはわかる気がした。おではまだまだコドモのライオンだから、こういった場所で大人っぽく振る舞わなくちゃってちょっと気張っちゃったんだよね。
「うん、真っ青。」
それ以上、おでとリンくんの会話は続かなかった。
カタッ
リンくんが、飲み終えたハートをソーサーの上に置く音が、ひとつ聞こえた。
斜め後ろの席でコーヒーを飲み終えたご夫婦が席を立って出ていった後、
「おれらも、行くかぁ。」
ケンイツエンチョーに促されて、席を立った。
「ごちそうさまでしたー。」
岬の先っぽの喫茶店の店主の笑顔に、見送られる。
トォの鐘の余韻を思いながら、今日もイチニチ、いい日にしよう。
ボブぞ
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Rin注: 訪れたときに岬の名前を知らなかったので「名もなき岬」と書きましたが、後から調べた所、明鐘岬(みょうがねみさき)という名前だそうです!釣り人がいっぱいいたよ。
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音楽と珈琲の店 岬 (千葉県安房郡鋸南町)
Instagram https://www.instagram.com/coffee.misaki/
※この喫茶店を舞台に書かれた小説はこちらです↓↓↓
森沢明夫 著 『虹の岬の喫茶店』 / 幻冬舎、2011年
https://www.gentosha.co.jp/book/b2117.html
※安西水丸さんは千倉が原風景らしいので、同じ千葉県でも厳密には違うのだけども。
大好きな一冊です。ご参考↓↓↓
安西水丸 画集『一本の水平線―安西水丸の絵と言葉―』
https://crevis.co.jp/publishing/ipponnosuiheisen/
「ふたりの休暇」
https://bobingreen.com/2022/06/08/2121/