ミルキークィーンの呪文
クンクン!クンクン!
とある日の昼前のこと。居間のソファに座っていると、なんとも言えぬいーい香りが漂ってきた。
うぅぅーん。たまらないねぇー!
食べるの大好き!目指すはメジャーリーガーオオタニさん!ライオン兄弟の末っ子、ボブぞだよ。
・・・グツグツ
・・・カタカタ
・・・シューぅシューぅ
いま、台所で、リンくんが今年の初物の新米を炊いているの。
先週末、道の駅までお散歩がてら買い出しに行ったリンくんとケンイツエンチョー。3kgの玄米を背負って帰ってきた。いつもその道の駅に入ってるお店で、地元のお米を量り売りしてもらっているのだ。けれど、今回は一筋縄ではいかなかったらしい。
リンくんがコーフンして曰く。
ねーねーボブぞ、聞いて聞いて!もう新米だったんだよー!まだ9月も上旬なのにね、確かに近くの田んぼ、もう稲刈り始まってたの。それでね、いつもはコシヒカリかひとめぼれでしょ?今日はコシヒカリくださいって言ったのにね、店のオジサン、いっちばん値段の高いミルキークィーンを量ってパックしちゃってたのよ。100円以上高かったけどさ、オジサンがニコニコしてたから、しょーがないからそのまま買ってきた!お茶目なオジサン、おっちょこちょいなオジサン。それか、わざとか?!今年はミルキークィーン推しだったのかなぁー?もしさぁ、めっちゃおいしかったら、これから、どうしよう。
そんなわけで、ボブ家の今年の初物新米は、乳白色の女王ことミルキークィーンになった。といっても玄米なので、彼女は硬質な茶色いドレスをまとっているのだけど。
リンくんは、昨日の晩からたっぷりの水につけて太らせたミルキークィーンをしっかり水切りをしてから、アルミの鍋にざぁぁぁぁっと入れた。片手には透明の軽量カップを握っている。
ンー。水加減・・・どしよう・・・。新米だしなぁ・・・。ミルキークィーンも初めてだしなぁ・・・。困ったなぁ。水は絶対、少なめ。少なめ。少なめ・・・。
リンくんがボソボソとつぶやく声が聞こえた。
シュワぁッ・・・
シュワぁッ・・・
2合に対して、2カップの炭酸水を入れたところで、どうやら手を止めたらしい。
ンー・・・いつもはここで半カップ・・・だけど、もっと少なくしよう、1/4カップ。
少なめ、少なめ、少なめ・・・。
ぶつくさぶつくさ、聞こえる。
シュワッ
少なめ、少なめ、少なめ・・・。
あまりに何度もつぶやくものだから、なんだか呪文のようにも聞こえてきた。
スクナメスクナメスクナメ・・・スクナメスクナメスクナメ・・・。
そう、スクナメの呪文だ。
我が家では、リンくんの別名は、メシタキ、だ。ニンゲンとたくさんのどうぶつがひとつ屋根の下に暮らしているボブ家。世の中の家にはいろいろな家事というものがあるけれど、こんな我が家にも、人並みに生活環境を維持するための家事というものが数え切れないくらいある。
リンくんはその中でも、料理がいちばん好きなのだという。元来、なにかを作ったりすることが好きな質だから、野菜だとか魚だとか肉だとかの材料が、切ったり貼ったり煮たり焼いたりして、ひとつの料理になる、という工程がワクワクするらしい。そして、日々の料理タイムというのはストレス発散になることが多々あるのだという。
だから、おでらは、愛を込めて、台所に立つリンくんのことをこう呼ぶのだ。
オーイ!メシタキー!おで、ハラへったぁーーーー!今日のめし、なぁに?
今日はなんと、炊きたての新米玄米だぁよぉ!残り物の親子丼のあたまがあるから、おかずにしても、ごはんにかけてもどっちでも好きにしていいよ。
えー!初物の新米!なら、丼にしちゃったらもったいないじゃん?おで、別々に盛って食べたーい。
ガタガタガタガタ!
アルミのふたの鳴る音が大きくなって、リンくんは急いで火加減を確認する。
我が家には炊飯器がない。米を炊くのは週に1度もないくらいだから、たぶん普通の家庭よりは圧倒的に少ないのだと思う。炊飯器は場所取るし、そもそもそんなに使わないから要らない、というのがリンくんの言い分だ。
一方で、ごはんが好きではないかというと、そんなことはなくて、おうちで炊くごはんというのは、ボブ家にとっては大ごちそうだ。ライオンのおでらも含めて、全員が呑兵衛の我が家は、炭水化物らしい炭水化物を食べない日もあれば、お惣菜の納豆細巻を買ってきては二度に分けてちょぴちょぴつまむ日もある。お酒とごはんを天秤にかけるとお酒が勝つ、というだけで、本当はごはんをばくばくと食べたい日もあるのだ。
チリチリ・・・
んー!香ばしーい香りがしてきたね!
リンくんは鍋に耳を近づけて、慎重に音を聞く・・・、のはずなのだけど、変なうなり声が聞こえた。
うぅぅぅぅ
・・・ん?リンくん、どした?
うぅぅぅぅ。ボブぞ?あのね、チリチリが始まったんだけどサァ。いつもなら、ここでびっくり水するのよ、冷たいお水を足すのね。今日、新米なのよ。しかも、これまで炊いたことない銘柄のミルキークィーンなのよ。水少なめにしないといけないのよ。どうしよう。
チリチリチリチリ・・・
いかーん!このままでは焦げばかりができてしまう。エイヤッ!
リンくん、思い切って、アルミ鍋のふたを開けた。
スクナメスクナメスクナメスクナメ・・・
シュワッ
そう唱えながら、結局、1/4カップの水を追加した。
フゥ・・・・・・。はぁ・・・うまくいきますように。
ボブぞー。おいしく炊けるかなぁ?ねぇねぇ、どうかなぁ。ドキドキするよぉ。
まぁ、食べられるよ、ダイジョブダイジョブ。
そりゃそうだけどさ!玄米だから水少ないとパラパラになっちゃうじゃん?ちょっともっちりした感じ、したいわけよ。権米衛のおにぎりみたいな炊き加減が理想なのよ。わかるでしょーぉ?
リンくんは権米衛というおにぎりやさんの玄米にぎりが大好物だ。カイシャイン時代、毎日飽きもせずにお昼ごはんに食べていたというだけあって、その店を真似て絶妙な玄米の炊き加減を極めたいらしい。
弱火にして、もうあとは、待つのみ。
チリ・・・チリ・・・
リンくーん・・・髪の毛燃えるよ?
気がつくと、鍋からの音を聞くために、リンくんはコンロにぐぐっと顔を近づけていた。果たしてもうこの静かなるチリチリが、鍋底で米粒がはぜる音なのか、リンくんの前髪が焦げる音なのか、わからない。
カチャッ。。。
リンくんが、コンロの火を止めた。
フゥー。蒸らしてる間に、親子丼のあたま、温めるね。
行平鍋に入ったお出汁たっぷりの鶏肉ととろとろ玉ねぎから、甘じょっぱい香りが漂ってきた。
追い卵を回し入れて・・・と。
みーんなー!ゴハンだよー!
ついに、リンくんとミルキークィーンの戦いが終わって、食卓が整った。
鍋敷きの上に、ドカッとそのまま行平鍋が置かれ、深めの取皿が用意された。
ごはんは各自お好きなだけよそって、召し上がれぇ。
いっただっきまーす!
モッグモッグモッグモッグ・・・
ボブぞ、お味、どぉ?
んまいっ!新米だからうまいのか、ミルキークィーンだからうまいのか、なんだかわからないけど、うまいよ!初物いいねぇ!
ほら、リンくんも食べてみなよ。
モッグモッグモッグモッグ・・・
あ。おいしい、けど、ちょっと柔らかかったね?かなり水、減らしたんだけどね。
んー。次炊く時は、びっくり水、しなくても良さそうかなぁ。それか最初の水減らすかなぁ。
あー、そうかもねぇ?ま、全然いいよ!おなかに優しそうでいいよ。
ボブぞ、やさしいね。ありがと。おいしいね、いっぱい食べてね。
ウンっ。もりもり食べるよー!
モッグモッグモッグモッグ
モッグモッグモッグモッグ
リンくんが玄米を噛みしめる姿からは、例のあの呪文が聞こえてくるようだった。
スクナメスクナメスクナメスクナメ・・・・
部屋の中は、初秋の香りでいっぱいだ。おでのおなかも気持ちも、いっぱいになった。
ふと、リンくんが話してたお米屋のオジサンのことを思い出して、おっきな声でごちそうさまをした。
農家さーん!今年もおいしいお米、ごちそうさまでした!
ボブぞ