1,001番目のペンギンになりたい勘九郎
モクモクモクモク
道路に影を作りそうなくらいハッキリとした入道雲が、真っ青な空に広がっている。
アクリル絵の具のスカイブルーよりも、もうちょっと青い気がするな。ブルーのグラデーションをパレットの上に作って、キャンバスにベタベタと筆で丁寧に乗せる。そして、その上からホワイトを分厚く塗って、グレーで陰影をつけていきたい、そんな空だ。
「曲がりなりにも、梅雨だよ?アッチぃ・・・!!!」
リンくんが黒いキャップかぶったアタマから汗をダラダラと流している。首元をぬぐうタオルハンカチはすでに汗くさい。
「リンくん、そのサイズじゃ拭ききらんのじゃないの・・・?」
「勘九郎こそ、南極からやってきたどうぶつなんだから、こんなに暑くちゃやってられないんじゃないの?」
まぁ、それは、そうだ。わっしはペンギンだからね、涼しいに越したことはないんだけど、意外と適応能力あるのよね。リンくんの汗っぽい手からするりと抜け出して、橋の上から真夏みたいな空を見上げた。
ペンギンの勘九郎でっす。
今日はね、チーバは市川市(上から呼んでもイチカワシ、下から呼んでもイチカワシ!)の真間(まま)っていう場所にやってきてるんだ。リンくんは真間にやってくるのは子供の頃以来だという。
「昔、家族でお花見散歩に来たんだよねぇ。弘法寺(ぐぼうじ)とか、あと千葉商科大学とか里見公園とかね。うーん、市川真間っていう響きは懐かしいような気がするけど、でも、この辺りのことはあんまりちゃんと覚えてないな。」
目的地は美術館。”芳澤ガーデンギャラリー”という場所だ。
我らがチーバくんの生みの親である、絵本作家・イラストレーターのさかざきちはるさんの企画展示をやっているんだ!さかざきちはるさんはチーバくんの作者としても知られているけれど、もっと全国的に有名なのは、Suicaペンギンなんじゃないかなぁと思う。今回、”ペンギンアパートメント”という企画のために、1,000枚の原画を描き下ろしたのだって!
「ワクワクだぁよぉー!ね、勘九郎!もちろん行くでしょ?ペンギン1,000羽に会えるよ!」
「おぉぉぉ!行く行くぅ!カンカンカカーン!」
ペンギン、というキーワードが出たからには、わっしがお伴するに決まってるでしょ?そんなわけで、リンくんと一緒に美術鑑賞しに行くために、JR市川駅に降りたった。
駅の北口を出ると、大きなロータリーがある。駅ビルのシャポーを背に、右手にはダイエー、左手の向こうの方にはヤマザキのビルが見える。ごちゃっとした感じはさすが、江戸川を超えたら隣駅はトーキョーというだけあって、我が家が暮らす町とはやっぱりちょっと密集度が違う。
千葉街道の横断歩道を渡り、さらに北上していくと京成電鉄の踏切が現れる。
「懐かしいなぁ、マツヤデンキって。まだあるんだぁ・・・!」
妙に電気屋の屋号に詳しいリンくんは、その看板に懐かしみを覚えつつ、踏切を渡る。ぐねぐねと進む道の両端には、ギッチギチの敷地に建てられた比較的新しいマンションと貫禄のある立派な一戸建てが密集している。昔から高級住宅エリアだったところが少しずつ再開発されてきているのだろうと思う。
向かいから黄色い帽子をかぶった小学生たちが元気にはしゃぎまわりながら歩いてくる姿にすれ違う。集団下校なのだろう、各グループにひとり保護者がついているようだった。
それもそうだ、と理解したのは、汗を拭き拭き、真間川の橋を超えたあとだった。小学校の門を超えると、さらに道路が狭くなっていくのだ。クルマ一台の幅がせいぜいの道なのだから、当然一方通行なのだと思っていたら。
「エ???ココ、イッツウじゃないの?!」
そうみたいだ。スクールバスが立て続けに3台、その図体を無理やりにねじ込みながら、乗用車とすれ違っていくのだ。
ニンゲンの大人もペンギンも、まともに歩くこともできぬ。こりゃあ、子どもたちにとっては危険地帯なのだろうなぁと納得した。
バスを見送って平穏が戻ると、大きな看板が見えた。グレーで描かれたシンプルなおうちの中に9部屋設えてあり、その中にそれぞれペンギンが暮らしている絵が描かれている。だれもが知る、日本でイチバン有名なペンギンのキャラクターなのではないかと思う。
「あったあったー!”ペンギンアパートメント”だ!ギャラリー、もうすぐかな?」
ここからあと70m。リンくんのタオルハンカチはすでに限界値を超えている。
「リンくん、お茶、飲みなよ。ギャラリー着く前に熱中症で倒れるよ?」
「勘九郎、やさしいねぇ!やるじゃん。アリガトね。」
ゴッキュゴッキュ・・・
のどを鳴らしてルイボスティーのペットボトルの中身を減らしていくリンくんに、わっしは懇願した。
「わっしにもくれー!」
「なぁんだ、やっぱり暑いのニガテなんじゃん。」
フハッ!カンカンカーン!
お茶を飲んで少し復活した我々はようやくギャラリーに足を踏み入れた。
うっそうとした森のなかにひっそりとあるような、そんな印象の入り口に、”市川市芳澤ガーデンギャラリー”の看板。私設のギャラリーなのかと思ったら、市の運営のようだ。
「大人ひとり、お願いします。」
リンくんが受付でチケットを買っている間、わっしは気が気でなかった。なにせ、ペンギンがたくさんいるというのだ!ワクワクドキドキ、どんなペンギンがいるのかなぁって緊張してきた。
「・・・なぁなぁ、リンくん。わっしに似てるペンギンさん、いるかなぁ?」
リンくんに小声で耳打ちすると、突拍子もない返事が返ってきた。
「えー、いるわけないじゃん?だってさ、勘九郎はスイーツが好きでイラストを観るのが好きで、それから、ライオンやクマやウサギやアザラシやたくさんのオハナと、それから、ニンゲンと一緒に暮らしてるでしょ?それから、ビール好きのパタスモンキーのオトモダチもいるしさぁ!そんなペンギン、いないって。」
「エッエッ、そうかな・・・?」
「うん、だから、この展示では1,000枚の絵があるらしいけどね、勘九郎は1,001番目のモデルを目指すといいよ。」
「あ・・・。うん!わかった。」
わっしはわっしのままでわっしの我が道をゆく。そのキモチを確認したら、さっきまでの緊張はどこかへ溶けていった。
「さ。行きますか。」
「うん!」
たったひと部屋の展示室。思っていたよりもこぢんまりとしていて、そして、想像以上に素敵な空間だった。
さかざきちはるさんが今回の企画展のために描き下ろした原画1,000枚のうち、500枚が木の額に入れられて、アチラコチラにレイアウトされて飾られていた。(会期の前半と後半で500枚ずつを総入れ替えしたそうだ。我々が見られたのは後半分の500枚だ。)
チャチャチャチャッ
チャチャチャチャッ
チャチャチャチャッチャッチャーラッラ
ひたすら、リピート再生で耳につく音楽が流されている。と思ったら、モニターに映し出されているのはさかざきちはるさんの制作現場を動画にしたものだった。その挿入音楽が会場のBGMにもなっているというわけだった。
作品の展示は、よくあるような展示室の壁にベタベタ貼り付けられているようなスタイルではない。オブジェのような木でできた四角錐の展示台や、展示室の中をさらに部屋のように仕切った空間があったりして、とても立体的かつ創造的で、とても面白く鑑賞することができた。それから、ペンギンのモービルや掛け時計など、やはりワクワクを刺激するような作品もところどころに配置されていて、終始キュンキュンしたキモチで見回ることができた。
わっしは、リンくんと一緒にぐるぐるぐるぐると室内を歩き回っては、身を縮めたり、腰をかがめたり、それからぴょーんと飛んでみたりしながら、10cm四方ほどの、決して大きくない作品の一枚一枚に視線を真っ直ぐに合わせながら、500のペンギンの姿にニヤニヤしながら、それはそれは、ココロの底から楽しんだ。
「勘九郎、ロビーで写真撮ってあげるよ!おいで。」
カンカンカカーン!
そう、このギャラリーでは展示室内は写真撮影はNGだったのだけどね、ロビーにはフォトスポットが用意されていたの。窓にはペンギンのイラストの描かれた大きなタペストリーがかけられていたり、作品の絵がレイアウトされているベンチもあったりして、さかざきちはるさんのペンギンたちと一緒になって遊べるエリアがあったのがとっても嬉しかったの。
16時半の閉館ギリギリまで、ホントにギリッギリまで遊んで、ギャラリーをあとにしようとしたところで。
「あ、勘九郎。お手洗い寄ってっていい?」
「あ、ウン。」
リンくんはそう言うと、なんとそこにはチーバくんの姿が!
「うわぁ、最後に、チーバくん登場。トイレの案内板がチーバくんデザインだなんて、気が効きすぎてるよ・・・!」
最後の最後までキュンキュンさせてもらった展示会&ギャラリーだったよ。
16時半すぎ、建物をあとにすると、敷地内のガーデンで草刈りをしている庭師が、西日に照らされて草のニオイをさせていた。もう終わり間近のバラが花の縁を茶色くさせている脇で、満開を迎えたアジサイは今日の強すぎる太陽の光をうるさそうにしていた。
「アッ・・・。かゆぅい・・・。蚊に食われた・・・!」
やれやれ。リンくんはやっぱり間が抜けておる。
ふぅ。
さかざきちはるさんのペンギンたちは、とても自由でユーモアにあふれていて、優しくて暖かくて、それから、いっぱいの仲間に囲まれていた。
わっしも1,001番目のペンギンとして、自由でユーモアにあふれて、優しく、暖かく、それからね、強くて強靭で、親切で、みんなに愛されてね、それで、わっしも仲間やオトモダチを大事にしたいなぁって、思うんだ。
「ねぇねぇリンくん、わっし、それでいいよね?」
「あはっ!勘九郎は、もう十分面白いから、大丈夫だぁよ!1,001番目になれるよ。」
「・・・面白いペンギン・・・とはひとことも言ってないんですけどっ・・・!」
カーン!
日の長いこの時期の、季節外れの強い日差しに照らされながら、わっしは、ぴょこぴょことペンギン歩きで、駅の方へとゆっくり帰途についた。
「勘九郎、帰りに、思い出の和菓子屋さん、寄ってこ?さっき調べたら、まだお店あるみたい。」
「エッ!本当?わっし、嬉しい!」
リンくんはわっしのご機嫌を取るのがとっても上手だ。楽しい市川真間散歩だったの!
カンカンカカーン!
勘九郎
さかざきちはる さん 公式ホームページ
https://sakazakichiharu.com/index.html
さかざきちはる “ペンギンアパートメント” @市川市芳澤ガーデンギャラリー
会期: 2023年4月21日(金) 〜2023年7月9日(日)
https://www.tekona.net/yoshizawa/event_detail.php?id=1885