サッシ工事のマリオネット
重たい雲が、少しずつ少しずつ切れ間を見せたかと思うと、薄青の空が、恐る恐るそぉっとこちらをのぞいている。
正午の少し前。みどりテラス側の窓を網戸にして風を入れていると、突如としてそれは始まった。
ボブおです。
おれは弟のボブぞたちと一緒にテレビのグルメレポート番組を眺めていたところだった。
リンくんはおれらの横で図書館から借りてきた本を開き、ケンイツエンチョーはなんだか眠いのぉといってソファ下のコルクマット敷きでゴロンと横寝の体制で、タブレットをスィスィと眺めている。
穏やかで自由な、ドヨービの午前。おれはフワァとひとつあくびをして伸びをすると、目の前のテレビの音とは異なる、シャカシャカとした薄っぺらいリズム音に気がついた。
ハテ?どこかで聞き覚えがある。イントロが強烈だが、歌い出しの歌詞は思い出せない。Aメロ、Bメロの展開をやり過ごして、サビに入ったところで、おれは歌詞を思い出すことに成功した。
カガミノォナカノマリオネットゥっ
モツレタイトヲタチキィッテェ
・・・
カガミノォゥナカノマァリィオゥネットゥ
ジブンノォタメニオドゥリナァ
伝説的バンドのヴォーカリストの、その声を聞けば一瞬でわかる日本語離れした独特な発音だ。それに、この曲の有名すぎる特徴的なギターリフは、さながらパッションとエネルギーの塊で、このノンビリとした真昼間の、高齢化団地の空気には似つかわしくない。せっかくの細やかなビートだって、まったく反響しないこの広大な敷地のなかでは間延びして聞こえるばかりだ。
鏡の中のマリオネット。コレ、知ってる。7才のライオンのおれだけど、生まれた頃からニンゲンと暮らしてるものだから、昔流行った曲だって知ってるのさ。
ケンイツエンチョーもリンくんも、昔はおれらのこと、カラオケに連れて行ってくれたよなぁー。ボブぞがたてがみ振り乱してさ、布袋のスリル歌ってエアギター弾いてさ、あんときは、めっちゃ盛り上がったよなぁ・・・!コロナっちゃんになってから一度もカラオケしてないなぁ・・・。
そんなことをぼんやり思い出していると、間の抜けた黄色い声援が飛んだ。
・・・ピゥピゥ?ピゥピゥ?・・・
・・・クワァー?クワァー?・・・
いつもであれば、のびやかな声で鳴く鳥たちも、今日ばかりは尻上がりに聞こえる。まるでこの状況に違和感を覚えているようだった。
高音も低音もあったものじゃない、くぐもった幅のない残念な音質にもかかわらず、我が家の5階の部屋の中までしっかり歌詞を聞き取れるほどの音量。
氷室京介が、そしてBOØWYが、突如としてどこからともなく現れたことに、正直、戸惑った。
ン?
リンくんは手元の単行本にしおり紐を挟みこみ、メガネを鼻のほうへずり下げたまま立ち上がった。おれもまさかヒムロックの姿を拝めるのでは?と気になって、リンくんの後について、ソファの背もたれの上から窓の外を眺めてみた。
ンー・・・?ドコぉ?
最初はどこかの車のカーオーディオかな、と思ったのだが、道路を走り過ぎ去る気配もなければ、団地の路地でエンジンをかけたまま停車しているような影も見当たらなかった。この辺りでは、週末だけに見かける車というのもあるにはあるから、アラフィフ世代の息子夫婦かなにかが老齢の親の様子を見に来てたまたま爆音で聞いてたのかな?とか妄想をしてみたのだけれど、どうやらハズレのようだった。
それにしても無遠慮さ甚だしく、正直、いつどこから苦情が出てもおかしくないなぁと思う。
多分、そこからだね。
リンくんは、本をソファに置いてから古いビーサンをつっかけてみどりテラスに出ると、眼下の小屋を指さした。おれも追いかけて窓枠を滑らせようとすると、ガ・・・ガガッ!と大きく軋む音がした。おれの小さな腕の力ではめいっぱい引いても動かないから、仕方なく、リンくんにおぅい、と呼びかけた。すると、リンくんは振り返って、おれを嬉しそうにひょいと抱っこしてきた。
んー、窓を開けてほしかっただけで、決して、抱っこを求めたわけじゃなかったんだけどなぁ・・・。
そうやって、一緒に手すりから下を覗き込んだのだった。
先月から、うちの団地では大規模サッシ工事が始まっている。9~11月の3ヶ月ほどをかけて、団地内の全ての窓サッシを交換するのだという。
確かに、我が家の、いままさにおれらがいるみどりテラスに出るサッシもかなり年季が入り、ギシギシガタガタと悲鳴をあげている。半年以上前からスムーズに開かなくなって、ケンイツエンチョーがテラスで一服するついでに、仏壇用のろうそくをヌリヌリと塗りつけてなんとかしのいできていた。網戸はというと、レールに乗らないほどに歪み、小さな穴が空き、容易に虫を受け入れてしまう寛容さだ。上部の小窓のガラスはというと、不定期にやってくる”プロペラさん”たち(ヘリコプターのことだ)が飛び廻る日には、その振動ですき間がバリバリと轟音をたてるのだ。
おれらが暮らしている棟はこの団地の中でも最端の区画にある。そのためか、管理事務所から届いたお知らせによれば、工事日程はかなり後ろの方に予定されている。端っこというのは、何かといつもそういう役回りだ。
みどりテラスから見える真下の駐車場が封鎖されて、その代わりに臨時の作業小屋が立ったのがひと月ほど前。最初の1週間はトンカントンカンと小屋を組み立てる音が鳴り響き、次の1週間は大型車が横付けされ、資材が運び込まれた。その後の2週間はというと、昼も夜も平日も休日も、人の動きさえなく、いつもの穏やかな日常を送ることができていた。
しかし、今日。しかも、土曜日の真っ昼間に、満を持して、氷室京介が、BOØWYが、やってきたというわけだ。
作業車が3台ほど停車し、工事事業者を示すための緑色のベストに”JS”のマークをつけた男たちが、ウロウロと歩き回っている。作業小屋を少しでも快適にするためのBGMなのだろう。無難にBay-fmあたりを流しておけばいいものを、どうやら骨太なJ-ROCKがお好きなようだ。
いよいよ、サッシ工事かぁー。しばらくは賑やかになりそうだねえ。
うん、おれらの大好きなみどりテラスだけど、しばらくはうかうか出られないかもね。
そうそう。ボブお、気をつけないと、「おわー!あの家、ライオンいるぞ!やべーぞ!」って見つかって通報されちゃうかもしれないよ?
アハッ。おれはそういうこと言ってんじゃないの。いつもみたいにテラスにキャンプいす出してのんびりおひなたぼっこーとか読書とかできないよね、ってこと。リンくんだって、いつものヘンテコな格好でテラスに出ないでよ?いい?
そうだねぇ。気をつけまぁす。
わかってるんだかわかってないんだか。リンくんの今日の格好はというと、緑地にピンクのドクロ模様の入ったサイケデリックな柄のレギンスに、くすみピンクのオーバーサイズのスウェットをかぶっている。ディスカウントストアで1枚100エン(しかも税込み)で爆買いしたレギンスが季節問わずリンくんの定番の部屋着となりつつある。4枚くらいの柄を交互にはいて、更にまだ10枚以上のストックがあるらしい。リンくんがおばあちゃんだかおじいちゃんだかになるまで履き倒せるくらい在庫があるらしいのだが、さすがにその頃にはサイズアウトしてると思うよな。
ま、肌もケツも出てないから、ヨシとしてやるか。ただなぁ・・・、その柄はいちばんパンチ強いんだよな・・・ほかの柄にしてくれないかなぁ?
何いってんの、コレがいちばん気に入ってるの。
そんな会話をしていると、ガランガランと大きな金属音がした。作業小屋から真新しいサッシ資材が運び出されていくのが見えた。ここから工事先の棟まで、近いようで遠い。なにせ広大な団地なのだ。
ふぅむ。サッシ工事のマリオネット・・・と、妙に納得をした。
緑色のベストを身にまとった、彼らの機敏で力強い仕事ぶりをしばらく眺めていたのだった。
我が家のサッシが新しくなるまで、あと1ヶ月くらいは待つことになるだろう。その間、日曜日以外の毎日を、緑ベストのヒムロック集団と生活していくことになりそうだ。
おれ、あの作業小屋が撤収になるまでの間に、BOØWY全曲歌えるようになっちゃうかもなぁ。
我が家の工事も、どうぞよろしくお願いします。
その日は、おれらボブ家総出で、ヒムロックごっこで緑ベストさんたちをお迎えしますよ。
さぁ、メンバー決めて、練習しなくっちゃぁ!
カガミノォナカノマリオネットゥっ
モツレタイトヲタチキィッテェ
・・・
カガミノォゥナカノマァリィオゥネットゥ
ジブンノォタメニオドゥリナァ
ボブお
鏡の中マリオネット もつれた糸を断ち切って
BOØWY 『MARIONETTE』
鏡の中マリオネット 気分のままに踊りな
鏡の中マリオネット あやつる糸を断ち切って
鏡の中マリオネット 自分の為に踊りな
ボブおとボブぞのロックスター遊び(このときはCOMPLEX)↓↓↓
「ロックスターあそび」
https://bobingreen.com/2020/05/26/216/
サッシ、もうかれこれ半年以上調子が悪かったらしい↓↓↓
「ライオンの深呼吸」
https://bobingreen.com/2022/01/31/1575/